「私は、私のここが一番好き」

毎月1日朝6時は、目標設定の会。
コトスク!とオンラインサロンのメンバーさんと
zoomで集まって、前月の振り返りと今月の目標設定をする。
振り返りと目標の間に
「今月の問い」を挟んでいる。
5月の問いは、「私のいちばん好きなところ」だ。
自分の好きなところ1つと、その理由またはエピソードを語る。
こういうテーマって、
もじもじして、えっとぉ ごにょごにょで終わったり、
私は自分の好きなところなんてないです、
私は自分を好きじゃないんでぇ
と言ってしまって
誰かからの「そんなコトないよぉ」を待ったり
しがちなんだけど。
今日集まったみんなは朝6時から清々しいほど堂々と
「自分の好きなところ」を発表しあった。
なんと素晴らしい。最高。
自分で自分の好きなところを言えないのは、
どっかの誰かに「そんなことないのに」と否定されるのが怖かったり、
「えー、そんなん思ってるの、自分だけじゃない?」
「痛くない?」
「どこがやねん」
みたいな声が聞こえてくるからだろう。
でもさ、
もし、どっかの誰かに「あんたは、そんなんじゃない」
「思い上がるな」
「どこがやねん」
と思われたとしても、知らんがな、である。
あんたが私の何を知ってんねん、で終わりなのだ。
自分を否定してくる人がいたとしても、
「私の魅力がわからないのねぇ、ああ可哀想なお方」でいいのだ。
そもそも、そんな、どっかの誰かの声
自体が「ない」のだから。
自分が作り上げた脳内の声は、ただの幻聴である。
清々しく発表しあったメンバーそれぞれの「自分の好きなところ」は、
その人が大事にしている価値観のようなものや
モノの見方の根底にある信念みたいなものを
反映していて面白かった。
そういうエピソードから、その言葉を選ぶんだ、
みたいなところが、もう「その人」なのだ。
最近、どうしようもなく落ち込むことが多くて、
朝6時にみんなの前で話せるような気分ではなかったんだけど
でも1時間後にはすっかり元気になっていた。
こうやって、場を設定して、
みんなで集まって話せることは
私が誰かに何かを与えているのではなく、
ただひたすらに受け取っているのだなぁと思う。
ずっと助けられている。